「reunion 後編」~ジェイシェリ再会のお話三部作・後編

1.

 凄まじい疲労感がジェイクを襲っていた。

 追い討ちをかける様に、空港はとても賑やかだ。

 漸く見つけた空いているベンチに、体を投げ出すように腰を下ろした後、手に持ったザックに額を預けると、深く長い溜め息が漏れ出た。

 休める時に少しでも休んでおくべきだったが、それはとてもではないが叶わなかった。

 ここに着くまで、シェリーの顔が幾度となく脳裏を過って、眠ることなど到底不可能だったのだ。

 ジェイクの名を呼び、助けてと叫ぶ声を聞いた気すらした。

 姿を消したシェリー。

 未だに政府の干渉に囚われている彼女に、自分を大事にしろと伝えた。だが、それで直ちに着の身着のまま行方をくらますなど、およそシェリーらしくない。

 そこに何らかの力が働いていることを、ジェイクは確信していた。

 探さなければ。

「おい」

 急に近くで声がして、ジェイクは顔を上げた。

 ジーンズとレザーブーツの足元が目に入る。

 と同時に、濃厚で香ばしいコーヒーの香りが鼻腔を掠めた。

 湯気がくゆるカップを差し出しながら立っていたのは、レオン・S・ケネディだった。

「ようこそアメリカへ」

 ジェイクが無言でコーヒーを受け取ると、その隣のベンチにレオンは腰掛けた。

 さっきまでビジネスマン風の男が、膝にノートPCを乗せて陣取っていた筈だった場所だ。

「ここにいた御人は、お前さんにビビって、早々にお立ち退きあそばしたぜ」

 まるでジェイクの頭の中を読んだようにレオンが言う。

「さっきから警備員にも目を付けられてる。よくイミグレーションを通過できたな。その殺気立った目だけでも何とかしろよ」

飄々とした口調で言いながら、レオンはコーヒーを啜った。

 その向こうで、なるほど、二人の警備員がこちらに不躾な程に警戒心剥き出しの視線を送っている。

「…何で俺がこの時間に着くって知ってんだよ。それと、例の件、何かわかったか」

 構う風もなくジェイクが問う。それに対し、レオンは一瞬呆れた様に眉をひそめたが、すぐにふっと表情を和らげると、ジェイクの肩を拳で軽く突いた。

「トップエージェントの情報網を舐めるなよ?それに、気持ちはわかるが焦るな。詳しい事は車で話す。行こう」

 一刻も早く知りたかったジェイクは、レオンの涼しげな態度がどうにも気に入らなかったが、のんびりしている暇もない。

 努めて抑えつつ、コーヒーを一気に流し込みーーー直後その熱さに盛大に吹き出し咳き込む羽目になった。

「おい!大丈夫か?だから焦るなって…」

「う、るせえッ、…行くぞ!」

 ジェイクは口元を拭いながら立ち上がると、苦い表情で床を拭き始めた清掃員に軽く謝罪し、大股で遠ざかっていく。

 レオンは慌ててその後を追いかけた。


「…で、どうなんだよ。何か掴めたか」

 車が走り出してすぐ、ジェイクは再びレオンに問いかけた。

 その性急さも予想していたのか、レオンは「ああ」と短く答えると、顎でダッシュボードを指し示した。

「そこにファイルがある」

 ジェイクは扉を破壊しかねない勢いでダッシュボードを開くと、黒いドキュメントケースを取り出した。

 中には経歴書などの書類と、研究員用のIDカードの写しが一枚入っている。

 若いような、年寄りのような、生きているような、死んでいるような、どうにも捉え難い表示の痩せた男。

「ジョセフ・エルメス…」

 ジェイクはIDカードに印字された名前を声に出して読み上げた。

「見た目は胡散臭いが、かなり華々しい経歴の持ち主だな。学生時代から遺伝子学やウイルス学の分野の論文でいくつも賞を取ってる天才だ。それだけの才能なら引く手数多だろうに、19年前シェリーの検査チームに配属されてから、引き抜きや昇進を一切断り続けてるらしい。そんなに長くいるのは今じゃその男だけだ」

 ハンドルを握り前を向いたまま、レオンが説明する。

「勤務態度は真面目そのもの…対人関係のトラブルも無し。税金もきっちり納めてるし、なんなら怪しい製薬会社と裏でつるんでる気配も無い。だが…」

 そこで切って、ちらりと横目でジェイクを見る。

 先程からひりつくような殺気が隣から漂って来るからだ。

「そいつーーエルメスも三日前から休暇を取ってる。母親が病気で介護の為だとか…確かに母親は郊外に住んでるが、調べた限りじゃあ母親宅に奴が現れたような記録は無いが」

 ジェイクは無言で聴きながら、他の書類に目を通す。

 資産状況から、ジョセフの母親、マリオン・エルメスの自宅住所、近隣に設置されている公設・私設の防犯カメラの映像記録データなどまで、整然と揃っている。

 十数時間でこなした仕事とは思えない内容に、ジェイクは思わずレオンを見た。

「あんた、思った以上にやばい奴だな」

 軽い言い回しの中に、尊敬と言うよりは畏怖に近い感情が込めらているのを感じ取って、レオンが苦笑しながら小さく首を振る。

「優秀な仲間が多いのさ。ハニガンやヘレナ…覚えてるか?中国で図体でかいB.O.W相手に四人で戦った時、俺ともう一人いたろ…彼女達も手伝ってくれた」

「英雄さんの人徳ってやつか」

「いい加減、その呼び方やめないか?…っと」

 レオンは急ハンドルを切った。

 助手席のジェイクは重力に振られ、数枚書類が足元に落ちる。

「はは、悪い悪い。道を間違えるところだったんでね」

 涼しい顔で笑うレオンを横目で睨みながら、ジェイクはそこで漸く、そして今更な思いに突き当たった。

「どこへ、向かってるんだ?」

 いつの間にか車はハイウェイを降り、街中を走っている。

「シェリーの家だ」

 信号で停車すると、レオンが言った。

「シェリーが無断欠勤した場合、後見人の俺に連絡が来る。シェリーに限って、何の相談も無く仕事放り出すなんて有り得ない話だろ。気になったが、その時は手が離せなくて、代わりにこの近くに住んでるヘレナに行ってもらったんだ」

 信号が変わり、再び車が走り出す。

 ジェイクは、レオンの表情が、さっきまでと違う、どこか険しさの漂うものに変わっている事に気付いた。

「ドアは開いていて、誰もいなかった。ヘレナが必要な情報は拾ってくれた筈だが、自分の目でも確かめておきたくてな」

 よく見ると、端正な横顔に、だいぶ無精髭が目立つ。

 ジェイクが渡米している間、レオンがシェリーを案じ駆け回っていた姿を垣間見たようで、ジェイクは少しだけ、それまで抱いていたわだかまりが解れたような気がした。


「あのアパートだ」

 賑やかな通りから少しそれた場所に、幾つかのアパートメントが並んで建っている。

 その近くで車を停めると、レオンがジェイクを先導した。

 シェリーの部屋は2階部分で、ドアはヘレナが施錠していた。

 後から預かったその鍵で、二人はシェリーの部屋に入る。

(ここがシェリーの…)

 脱いだ靴が、入り口ドアの脇の壁に沿って並べてある。

 レオンに続いて、ジェイクもブーツを脱ぐと、短い廊下の奥へ進んだ。

 ヘレナは施錠以外は現場保存に徹していた。

 つまり、今ジェイク達が見ているのは、シェリーがいなくなった当時からそのままの光景ということだ。

 整ってはいるが、それは目立つ家具以外、あまり物が無いからに見えた。

 カフェテーブルの上に無造作に置かれたショルダーバッグの中に、確かに財布やIDケースがのぞいている。

 仕事から帰りいつもの様に置いた、そのままの状態のようだ。

 一人掛けのソファーの横にある小窓が少し開いていて、通りを歩く人の声や、通過するバイクの音が聞こえた。

(あの時、ここで話してたのか)

 ジェイクは思わず立ち止まりソファーを見つめる。

 レオンは一瞬振り返ったが、すぐに他の部屋を見に行った。

 バスルームは、当然だがすっかり乾いている。

 レオンは洗面台の足元の丸籠に目を付けると、中に入ったままのシャツとベストを拾い上げた。

 最後の退勤時刻のセキュリティカメラに映っていたシェリーが着ていた服だ。

「帰宅して…シャワーを浴びた後…何かがあった…」

 レオンの呟きが聞こえて、遅れてバスルームに入ったジェイクは、更に数歩歩み寄ったところで、籠の中のペールブルーの小さな下着に気付くと、咄嗟にレオンの腕からシャツとベストをひったくり、叩きつけるように籠に戻した。

「何か怪しいもんはあったかよ!?」

「…いや、ここには無いな」

「じゃあもういいな!」

 ジェイクに押し出されながらバスルームから出たレオンは、次はキッチンに向かった。

 ジェイクは大きく息を吐いてから改めてリビングを見渡し、続き間になっている寝室に気付いた。

 窓から注ぐ日差しの明るさに紛れて、サイドボードの読書灯が淡い光を放っていた。

 シェリーの寝室…それだけで若干躊躇いつつ近づいて、読書灯の側に置かれた本に気付く。

 それは、ジェイクの故郷イドニア近辺の語学本だった。

 現場保存とやらを無視して、ジェイクは思わずそれを手に取る。

 使い込まれた栞と、簡単な会話文や料理名などが書かれた手書きのメモが、幾つかのページに挟み込まれている。

 自分と会う日の為だろうかと、どうしても思ってしまう。

 もし一人でここに来ていたら、本を抱き締めくず折れていたかもしれない。

 すぐそばのベッドを見ると、シーツにわずかに乱れがあった。

 ここがシェリーが最後にいた場所だとジェイクは直感した。

「掛けものが無い。シェリーを包んで運び出したのかもな」

 後ろでレオンの声がした。

 キッチンも特に異常は無かったようで、激しく争った後や血痕も見当たらないことをジェイクに告げる。

「ドアをこじ開けた跡も無いが、ラボの人間なら、シェリーの持ち物から鍵だけ盗んで、合鍵を作ることくらい雑作もないだろう。準備期間はたっぷりあったみたいだしな」

 合鍵で部屋に入り…ベッドにいたシェリーを気絶させるかして、運び出したわけか」

「シェリーの格闘技はなかなかだ。接近しない為には麻酔銃でも使ったか。その辺の薬の扱いも充分承知だろう」

 その時、レオンのPDAが高く鳴った。

 レオンは人差し指を上げてジェイクに待つようにジェスチャーを送りながら通話を始めた。

「ハニガン、どうした」

 電話の相手は敏腕オペレーターの様だ。

 ジェイクは握り締めていた本をサイドボードに戻すと、そっとベッドに触れた。

(待ってろ、必ず見つける)

 倒れ込み、運び出されるシェリーの姿と、先程車内で見たIDカードの写真のジョセフが脳裏を過り、ジェイクは初めて怒りが込み上げるのを感じた。

 プロポーズしたものの、手に入らないと踏んで、実力行使に出たのか。

 思いがある以上、すぐに傷付けるような事はしないだろう。だが、もし心中まがいの事を企んでいるとしたら。

 シェリーの体を知り尽くしている人間が、効果的に彼女を傷つけ死に至らしめようとした時どんな手段に出るのか、それは最早考えたくない領域だった。

(そんな事させるかよ!)

 静まり返った部屋は、逆に一刻の猶予も無いのだと告げている様で、ジェイクは居ても立っても居られず寝室を出た。

 レオンがソファーの近くでまだ話しているが、何やら少し話が拗れている様子だ。

「頼むハニガン、このままにしておけない。そんな奴らに構ってる場合じゃないんだ!」

 いつでも余裕のある態度を崩さないレオンが、声を荒げている。

「…ああ、わかってる。そうだ。でもこれは…!」

 何かが暗礁に乗り上げている様だ。

 ジェイクは短く息を吐くと、その横を通り抜けドアに向かった。これ以上待つ事は出来なかった。

「…!おい、ジェイク!」

 気付いたレオンが、咄嗟に呼び止める。

 無言で肩越しにレオンを見るジェイクに、何かが投げつけられる。

 咄嗟に身をひねって受け取ったそれは、外に停めたレオンの車のキーだった。

「持ってけ。足が要るだろ」

 言いながら、通話を切断し、レオンは深く溜め息をついた。

「本当にすまない…どうしてもやらなきゃならない事が出来た…シェリーの事は機密事項扱いで、今回の捜索も公の手は一切借りられない…ここからは、お前だけが頼りなんだ。シェリーを…頼む」

 半ばうつむいた顔に抑えきれない苦渋を滲ませながら、レオンが絞り出す様に言う。

 レオンが大統領直属のエージェントだということは、今ではジェイクも知っている。それだけの技量も器もある男なのも確かだ。

 だが、時にその立場は枷となり、レオンを蝕んでいるようにも見える。

 この男が戦っているのは、バイオテロだけではないのだろう。

 その生き方に素直に称賛を覚える反面、自分にそれはできないとジェイクは感じた。

 守りたいものを守るため、どこまでも自由であるべきだと思った。

「頼まれなくても、こいつは最初から俺の仕事だ。あんたはあんたの戦いに戻れ。シェリーの事は任せろ」

 言いながら手早くブーツを履くと、ジェイクは部屋を出た。

 その背中をどこか羨望にも似た眼差しで見送って、レオンは小さく呟いた。

「最初から俺の仕事…か。期待してるぜ、シェリーのナイト」


2.

 もう何度目だろう。

 シェリーは未だ幾度となく繰り返す悪夢の中にいた。

 不思議と徐々に体が動くようになってきていたが、それはまるで悪夢と現実の一体化を表しているかのようで、シェリーを震え上がらせる。

 そして今は、暗く、異様な量の蒸気に満ちた空間で、大きなドラム缶の陰に隠れて身を潜めていた。

 この場所には見覚えがある。初めてクレアと出会った、ラクーン警察署地下の機械室だ。

 でもここにクレアはいない。

 いるのはシェリーと、父の頭を持つ化け物だけだ。

(早く目を覚まさなきゃ、早く、早く!)

 額を強く叩きながら、幾度となく繰り返したことを再び念じ続ける。

 ぐちゃ、ぐちゃ。

 肉と水分が乱暴に混じり合い叩きつけられる音。 

 シェリーはいつの間にか近づいていたそれに気付いて、今いる場所が危険だと悟った。

 別のどこかに隠れなきゃ。

 しかし蒸気が邪魔して1フィート先の足元すら見えない。

 音はゆっくり、しかし確実に近づいている。

 意を決して、というよりは恐怖に耐えきれず、シェリーは飛び出した。

 壁となる金網を伝い必死で走るが、驚くほどその足は重く、前に進んでいるという感覚が無い。

 と、裸足の足首に何かが巻き付いた感触がした次の瞬間、シェリーは片脚を大きく持ち上げられ、宙吊りの形となった。

 その下に、腕からいくつもの脈打つ触手を伸ばしたアレがいる。

「しぇええりりりり」

 隆起した血管に覆われた顔の中、口だった場所から奇妙な音が漏れ出す。

 掴まれた足首に激痛が走り、見ると食い込んだ触手が皮膚を破って血が噴き出し、シェリーの頬を、髪を、赤く染めていった。

 だがそれだけではない。

 破れた内側から、いく筋もの半透明の管が生えてきたかと思うと、それが急速に寄り固まって、いくつかの強固なロープの様に結束し、肉の触手に巻き付き始めたのだ。

「あ、あ、あ」

 震える唇から勝手に声が出ていく。

 目の前で、シェリーの足首と触手が、絡み合ったまま融合し始めていた。

 内臓から込み上げるような悲鳴が、瞬く間にシェリーの喉を駆け上がっていった。


3.

 資料で見る限り、ジョセフの暮らし向は基本質素だ。

 車は安い中古車で、ラボの近くの古いアパートが住所として登録されている。

 が、レオン達が調べ上げた資料によると、そのアパート以外に二つ、不動産を所有していた。

 一つは郊外にある、ジョセフの母親の住む家。もう一つは港近くの倉庫だ。

 添付の写真には、ひどく掠れてはいるが、かろうじて「ナッシュ・トイズ」と読める丸々とし字体のロゴが入ったシャッターが写っている。廃業した玩具屋の倉庫だったらしい。

「監禁部屋にはうってつけだな」

 住所を確認し、ナビをセットする。ここからそう遠くはないようだ。

 土地勘なぞ皆無の状況で、レオンからの"贈り物"の有り難みを感じざるを得ない。

 と、車を走らせ始めて早々に、ジェイクのPDAが鳴った。レオンからの着信だった。

「荷台のパネルの下に、銃とナイフがある。必要なら使え」

 出てすぐにレオンが早口に伝えて来た。

「あんたに借りができたな」

「そんなもん、シェリーを無事に助けてくれればチャラだ。気をつけろよ」

 言うが早いか通話は終わった。

 相手は、拳一つあればどうとでもできそうな男だ。しかし、イカれた科学者の足掻きの恐ろしさをレオン達は知っている。

 ジェイク自身も、その足掻きの飛沫ともいうべきバイオテロのもたらす惨状をこの一年数多に見てきた。

 油断と楽観は死を招く。それがシェリーに及ぶ事だけは絶対に避けなくてはならない。

「目的地周辺です」

 ナビ音声が告げた。

 積み上げられた大型のコンテナが左右に点在する道を抜けると、幾つかの倉庫が並ぶ区画が見えてきた。

 ジェイクは車を停めると、荷台をあけ、底板のパネルを外した。

 収められたアタッシュケースの中にはハンドガン一丁と予備の弾、そしてサバイバルナイフが二本入っている。

 車内で手早く銃のチェックを済ませると、ザックから取り出し装着しておいたホルスターに収める。ナイフは一本を腰に、もう一本を足元に仕込んだ。

 車を出て、足早に進む。

 ゲートはあるが、通行を管理するような詰所や警備員もいない。人通りなぞ尚のことだ。

 よく見ると倉庫はどれも古く、窓ガラスが割れたままのものもある。

 この区画丸ごとが、打ち捨てられた場所のようだった。

 それでも用心深くジェイクは動いた。

 一番手前の倉庫の陰から、向かい合って並ぶ廃墟の様な一群を素早く見渡す。

 と、奥の方に、写真にあったシャッターが見えた。

 壁伝いに移動し、途中途中でチェックするが、監視カメラの様な物は見当たらない。

 目的の「ナッシュ・トイズ」のシャッターの前に着いた。

 見る限り、入口はここしかない。

 当然鍵が掛かっているーーが、古い南京錠一つだ。

「大したセキュリティーだな」

 ジェイクは屈むと、腰のポーチから小さなピックを取り出し、南京錠に挿し込んだ。

「久しぶりだから自信ねえけどっ…と」

 言葉とは逆に手慣れた手つきでピックを抜き差しすると、カチンと音がして錠が外れた。

 所々錆が目立つが、意外にもシャッターは軽く開いた。

 それは少なくない回数、ここを訪れる者があることを示している。

 中に入ると、想像以上に暗く、静かだった。

 天井近くの窓は塞がれているのか、外からの光が一切差し込まない。

 そして、何者の気配もまた感じられなかった。

(ハズしたか)

 思わず小さく舌打ちしつつも、ペンライトを取り出しスイッチを入れた。

 小さな光の輪の中で、足元から舞い上がった塵が時折反射して小さく光る。

 大小様々の動物のぬいぐるみや、箱に入ったままのロボットやスポーツカーといった面々が、薄ら埃を被ったまま左右に積まれ、ジェイクを出迎えた。

 足元を見ると、いくつかの靴跡が残っている。

(念のため調べておくか)

 ジェイクは靴跡を辿って奥へ進んだ。

 程なく玩具の回廊は終わり、急に空間が開けたように感じた。

 ぐるりとその虚空を舐めるようにペンライトを動かすと、木製の机と椅子、PCらしきモニターがそこに浮かび上がる。

 どこか異様な空気に自然と息を潜めながら机に近づこうとして、ジェイクは自分の足音が変化したことに気付いた。

 咄嗟にペンライトで照らすと、先程までの煉瓦敷の床から、淡い色のタイル様の物に変わっている。

 そしてノートの切れ端と思しき紙片が数枚落ちていた。

(何だ?)

 紙片に目を凝らそうとした時、机の端に手が触れ、そこにあったスイッチを押した。

 しまった、と思ったが、警報が鳴るようなこともなく、代わりに暗かった空間が一斉にぼんやりと発光し、ジェイクは思わず周囲を見回した。

 タイルと思っていた床は発光パネルで、それはぐるりと前方・左右の壁を覆っている。 そしてその至る所に、大小様々なドキュメントや写真が貼り付けられていた。

 壁だけではない。床にも散乱している。走り書きのメモから複雑な科学式、塩基配列らしき物も見受けられる。

 机の上では、どうやら発光パネルと連動しているらしいラップトップのモニターが、白んだ光を放っていた。

「これは…!」

 改めて机の上を見たジェイクは、思わず声を上げてラップトップの隅に貼り付けられた一枚の写真を手に取った。

 そこにはシェリーが映っていた。

 口を真一文字に結び、毅然とこちらを見据えている。

 最低限の面積の布地を合わせた様な検査着には見覚えがあった。

 ネオアンブレラの監禁施設に囚われていた時の物だ。

 ラップトップに映し出されているのはシェリーに関する実験の記録データで、日付から見るに監禁施設で作成されたもので間違いないだろう。

 施設を脱走した時、ジェイクに関するデータはシェリーが全て抜き出しレオンに渡したが、シェリーのデータは置き去りだった。

 ターチィの状況が落ち着いたところで、あの施設にも捜査が入り、そこにシェリーとレオンは同行していた。

 その目的が、このシェリーのデータの回収だったのだがーーCウイルスのアンプル同様、持ち出された後で、シェリーはその事を一時期ひどく気にしていた。

 アンプルはその後闇オークションなどで売買されていたとシェリーから聞いた。

 自分のデータも、あるいは同じような経緯をたどるかもしれないと不安げにこぼしていたその予想は、皮肉にも的中していたことになる。

 しかしそれでも、こんな身近にあるなどとは、到底思いも寄らないことだろう。

 ジェイクはペンライトと一緒にシェリーの写真をポーチにしまうと、手掛かりを求めて他のファイルを探った。


4.

 シェリーは力なく横たわり、虚な目で、自分の左半身を見つめていた。

 でたらめな方向に伸び、波打つ様な隆起を一定間隔で繰り返す血管。もはや原型を止めていない、膨張した腕と脚。

 あれから何度も、振り払っては逃げ、逃げては捕まりを繰り返した。そしてその度に少しずつ、少しずつ、融合は進んでいた。

 体力も気力も、夢よ覚めろと願う力も尽き、もう一歩も動けない。

 恐らく次が、最後だろう。

(次捕まった時、私も完全にあの姿になる)

 どこか他人事のように心の中で呟いた直後、シェリーの赤く染まった瞳から大粒の涙が溢れた。

 愛する人々との別離が、こんなにも早く、そしてこんな形で訪れるとは。

 この体になった時、想像しなかった訳ではない。

 それでもエージェントになると決めてからは、必死で前だけを向こうと努力した。

 今瞳から流れているのは、我が身を嘆く悲しみの涙ではない。

 まだ志半ばだという悔し涙だった。

(クレア…レオン…せっかく命懸けで助けてくれたのに…ずっと支えてくれたのに…まだ何一つ恩返しだって出来てないのに…)

 出会ってから今までの二人の姿が、交互に、時に同時にシェリーの中を通り過ぎていく。

「うっ…ふぅっ、う…」

 漏れ出る嗚咽と呼応する様に、肥大化した腕が脈打つ。

 どうせなら、もっと膨れてしまえ。原型も留めぬ程に。誰も自分だとわからない程に。

 ーーそこで、シェリーの瞳が揺れた。

 ジェイク。

 ジェイクなら、自分がどんな姿になっても、わかってくれるような気がした。

 そして、その上で自分に、ちゃんと終わりをもたらしてくれる。

(ジェイクは、やさしくて、つよいから)

 再び涙が溢れた。

 ジェイクのことを思う時、シェリーは必ず笑顔になる。

 自分が今、泣きながら微笑んでいることを、シェリーは自覚していた。

「会いたいなぁ」

 呟くと同時に、新たな雫が頬を伝う。

 できれば、変わってしまう前に。

 もう一度だけでいいから。

 あなたに会いたい、ジェイク。[newpage]

 その時、ふと何か聞こえた気がして、シェリーは顔を上げた。

 アレが来たのだろうか。

 だが、どこかこれまでとは気配が違うような気がして、シェリーは残った意識を総動員して、懸命に耳を澄ました。

「…す……て…く………」

 アレの声だ。

 でもやはり何か違う。ひどく弱々しい感じだ。

 シェリーは動く方の腕を地面につき、何とか上半身を起こした。

「た…すけ、て、くれ…」

 今度ははっきり聞こえた。

 そしてその瞬間、自分がかつてその声を聞いていたことを思い出した。

 助けてくれ。恐ろしい咆哮の合間に漏れた悲痛な声。

 あの時のシェリーは、ただただ恐ろしくて、耳を塞ぎ続けた。しかし、今は。

「パパ…」

 シェリーはやっと理解できた気がした。

 あの時、父が本当は何を思っていたのか。

 自らGウイルスを注入して変異してから…今の自分のように…ひとり変わっていく孤独と恐怖に、苛まれていたのではないか。

 無論、父のそれは自業自得だ。だが、ただの化け物と成り果てる前のほんの刹那の間、初めて誰かに救いを求めた父はーーようやく人としての感情を知ったのではないか。

 気付けばシェリーは、自ら声の方へと、這っていた。

 醜く歪み続ける父がいた。

 ぶよぶよとした皮膜が、僅かに残ったウィリアム・バーキンの面差しを飲み込もうとしている。

 シェリーは、必死で父に手を伸ばした。

「パパ…助ける…私が助けるから…!」

 考えるより先に、叫んでいた。

 苦しむ父を、救いたかった。

 そして震える指先が父の脚に届いた時ーー

 シェリーの視界は眩いような光の中に没した。


 再びシェリーの意識が視界を結んだ時、そこに父の姿は無く、シェリーは一人どことも知れない、荒涼とした丘に立っていた。

 吐く息は白く、ちらほらと雪が舞っている。

 曇天の空を、何機もの軍用ヘリが飛んでいた。

 絶え間なく響く銃声、遠くに見える所々瓦礫と化した町。

「ここは…イドニア…?」

 呟いたところで、シェリーは慌てて自分の体を見回した。

 変異していた左半身は、何事も無かったかのように元の状態に戻っている。

「どういうこと…?そうだ、そういえば、これって…」

 夢なんだ。そう思った瞬間、シェリーは顔を上げた。

 これは夢。

 だから、きっとあんなにも強く願ったからーーそれで。

「遅ぇぞ、シェリー」

 懐かしい、黒いジャケット姿のジェイクがそこに立っていた。

「ジェイク…」

 名前を呼んだ瞬間、シェリーの鼻の奥がぢゅんと水気を含んで熱くなった。

「!…ンだよ、迷子にでもなってたのか?」

 両の目に大粒の涙を溜めたシェリーに、ジェイクが苦笑しながら近付いてきて、その涙を拭った。

 シェリーはされるがままになりながら、ジェイクを見つめる。

「私…父に会ったの…」

 我慢できず、シェリーは呟いた。

 ジェイクは手を止めると、静かに目で先を促す。

「父は自分の手で怪物になったけど、助けを求めてた…。私、今度はちゃんと、その声が聞こえたのに…結局また…助けてあげられなかった…」

 言いながら、自らの言葉一つ一つが胸に刺さって、思わずうつむく。

 しばしの沈黙が流れた。

「…そういうもんさ。どうしたって、過去は変えられねえ」

 ジェイクがぽつりと言ったかと思うと、うつむいたままのシェリーの顎を、優しく指先で持ち上げた。

「だからお前は、未来を救いに行くんだろ」

 轟く爆音と、泣いているような空。

 初めてイドニアの地に降り立った時を、あの時の気持ちを、シェリーは思い出していた。

 再び真っ直ぐにジェイクの目を見ると、大きく頷く。

「…ええ、そうね。行きましょう!」

 そうこなくちゃな、と片眉を上げて、ジェイクも笑った。


5.

 唐突に、シェリーの視界を無数のバブルが覆った。

 思わず動かした手足が、水圧の抵抗の中でゆらりと翻る。

(…水中!?もう、一体何なの!?)

 混乱と共に、大量に酸素を吐き出した肺が圧迫され、急激な息苦しさに襲われた。

(早く水から出ないと!)

 目の前のガラスの壁面に気付いて手を伸ばそうとした時、水圧とは別の抵抗を感じ、シェリーは咄嗟に自分の手足を見た。

 長く透明な点滴の管が繋がっているのを認めると、必死で呼吸を抑えながら手足を振って、管を引き抜く。

 浮力が戻るのを感じて、シェリーはそのまま上を見上げた。

 円形のハッチが見え、そこに向かって全力で水をかく。

 ほどなく指先が硬い感触に当たると、残った力を総動員してハッチを押し上げた。

「…ッはあッッッ!!!」

 勢いよく水面から顔を出すと、シェリーは肺腑いっぱいに空気を吸い込んだ。

「あッ、はぁっ、あ、ッぶなかっ、た…」

呟きながら、呼吸が落ち着くの待ってハッチの上に腕を伸ばす。

 何度か落ちて水中に逆戻りした後で、ようやくハッチの上によじ登ることに成功すると、そのまま数メートル下の床へと飛び降りた。

 なんとか着地したが、濡れた足が滑って体を打ちつける羽目になる。

「いったぁ…」

 よろめきながら、なんとか立ち上がる。

「この感覚…やっと夢から覚めたのよね?」

 自分で言って身震いする。

 それほどに恐ろしい悪夢だった。…が、奇妙にも、同時にひどく晴れ晴れとした気分でもあった。

 もつれるように二、三歩前に出た足が、ぺた、ぺたと鳴らす音につられて、シェリーは下を見た。

 そして自分が全裸であることにようやっと気付くと、思わずしゃがみ込んだ。

「えっ!ちょっ…やだ…!何か探さなきゃ…!」

 と言っても、この部屋には巨大な水槽以外何も無さそうだ。

 代わりに、奥に小さな階段を見つけると、片腕で胸元を隠して、シェリーはふらつく足を押さえながらそこを目指した。


 階段を上りきり、そこにあったドアに体当たりするようにして、外に転がり出る。

 木の床にぱたぱたと髪からの雫が飛び散った。

 どこか非現実的な空間に見えた地下とは真逆で、そこはどこにでもありそうな、ありふれた民家の廊下だった。

 壁にかけられた花の絵、刺繍の額。

 花瓶や本の置かれたキャビネット。

 かち、かちと一定のリズムを刻む時計の秒針の音。

 恐る恐る見渡すと、廊下の途中、薄暗い部屋の中に置かれたソファーと、そこに無造作にかけられたパイル地のタオルケットが目に入り、シェリーはそれになんとか駆け寄ると、素早くタオルケットを体に巻いた。

 風呂上がりのような格好は安心感には程遠かったが、少なくとも全裸よりはマシ。そう思った瞬間だった。

「待って、風呂上がり…?」

 唐突にシェリーの中でフラッシュバックが起きた。

 自宅でジェイクと電話した後、寝室で薬を打たれ、気絶した。

 そして、気絶する前に自分は誰かと話している。その相手は…

「…ジョセフ…エルメス…」

 目の前の壁に架けられた写真を見つめながら、シェリーは呟いた。

 年配の女性と並んで微笑むジョセフがそこにいた。

 自分がジョセフに拉致され、あの水槽に入れられていたことを完全にシェリーは理解した。

 その真意は測りかねるが、今はとりあえずここを出ねば。

 すぐそばにあった窓を調べたが、分厚い鎧戸はどこでロックされているのか、全く開かない。

 見渡す限り全ての窓が同様だった。シェリーは玄関らしきホールへ向かった。

 大きなステンドグラスの嵌め込まれた扉が見えた。外からの光をたっぷりと取り込んでいる。

 あれなら最悪ガラス部分を割って出られる。

 シェリーは嬉々として、ようやく動きを取り戻してきた足で駆け寄った。

 ーーと、不意にそこに長身のシルエットが現れ、シェリーは反射的に立ち止まった。

 扉の外で、ガチャガチャと解錠する音が聞こえる。ジョセフが帰って来たーー

 シェリーは咄嗟にキャビネットの上の空の花瓶を手に取ると、玄関ドアを睨みつけながら、野球のバットの様に花瓶を構えた。

 ゆっくりとドアが開く。

(今だ!)

 全力で走り、入ってきたジョセフに向かって花瓶を振り上げた。

 が、その瞬間、すでに銃のような物を構え、こちらに照準を合わせたジョセフと目が合った。


「!!」

 パシュッと小さな破裂音が鳴るのと同時に、シェリーは夢中で体を捻った。

 飛び出た何かの切先が腕を掠める感覚があった。

 そのまま、玄関脇から続く2階への階段の前に倒れ込む。

「くそ!!」

 ジョセフが短く吐き捨てた。

「なぜだ!計算じゃあ、まだ眠っているはずだ!!」

 シェリーに…というよりは、自分自身に向けているかのような口ぶりだった。

 とにかく、初めて見るジョセフの憤怒の形相に、一瞬シェリーは硬直したが、すぐに起き上がると、階段を駆け上った。

「シェリー!!!」

 雷鳴のようなジョセフの声が追いかけて来る。

 シェリーは手近なドアに飛びつくと、中に入り、後ろ手にドアを閉めた。

 時間を稼がねば。バリケードになる物を探し、素早く室内を見回す。

 思いの外広い部屋だ。

 奥に大きなベッドが置かれ、その左右に位置する窓ではカーテンが開け放たれ、やわらかな日差しが差し込んでいた。

 そしてそのそばに、窓に向かって置かれた背もたれの高い揺り椅子があった。

 階段を上がって来る足音を背に、シェリーは椅子に駆け寄り、ドアの方へ持って行こうと手をかける。

 と、その足元に、小花柄のスリッパを履いた小さな足が見えて、シェリーは一瞬呼吸が止まった。

 そこに、人がいる。

 階下で見た写真が脳裏を過った。ジョセフと並んで映る、年配の女性。

「あっ、あの…!!」

 言いながら、シェリーは椅子の正面に回り込みーーー愕然として動きを止めた。

 椅子に座っていたのは、人の形をした何かでーーそれが完全にミイラ化した人間だということに気付くまでに時間がかかった。

 頭部と思しき場所にまだらに残った髪の色に、見覚えがあった。

 その時、絶句し立ち尽くすシェリーの正面で、勢いよくドアが開いた。

「母に挨拶は済んだかい?」

 戸口に立ったジョセフが、一転静かな口調で言って、口元を歪める。

 瞬間、シェリーは振り向くと、窓に向かって走った。つもりだった。

「あっ」

 足がもつれ、思わず片膝をつく。

 腕に一筋走った線が皮膚を裂いて、そこに血が滲んでいるのが、視界の隅に映った。

 本来ならとっくに消え去っているはずの傷を見て、驚愕する。

 "G"の超回復が鈍っている?

(さっき掠ったあれ…!)

 思い出した時には遅かった。

 右腕を思い切り捻り上げられ、シェリーの口から思わず苦痛の呻き声が漏れる。

 そのまま無理矢理立たされると、横のベッドの上に投げ飛ばされた。

「あの至近距離でも外すとは我ながら最悪の腕前だな。…とは言え、ほんの数ミリ掠るだけでも、君の足止めくらいは充分できる」

 ジョセフはぼそぼそと呟きながら、シェリーの腹の上にまたがった。

 一方で、シェリーは意識だけはそのままに、徐々に思うように力が入らなくなっていく手足を、それでも必死に動かしてジョセフの体を退けようとしていた。

「はな…して!!」

 無我夢中で身をよじる。と、体に巻きつけていたタオルケットが緩んで解け、雪のように白い胸元が露わになった。

「!」

 咄嗟に隠そうとした両腕をジョセフが掴む。

 そのままシェリーの頭の上に腕を回すと、大きな右手の手のひら一つで、シェリーの両手首をそこに縫い止めてしまった。

 薬にやられてさえいなければ、難なく跳ね返してやるのに。

 恥ずかしさと同時に抵抗出来ない悔しさが込み上げ、シェリーは強く唇を噛んだ。

 ジョセフはその様子を明らかに楽しみながら、鼻先が触れ合う距離にかがみ込んで、シェリーに囁いた。

「なんてはしたない格好なんだ。ダメじゃないか、母の前ではもっとお行儀良くしてくれなきゃ」

 もがくシェリーを悠々と押さえ付けつつ、ジョセフは空いている片手を後ろに回すと、何かを取り出した。

 シェリーはそれが注射器なのに気付くと、さらに必死になって身をよじった。

「こいつは特別性さ。君のおかげで完成した、"G"の改良版だよ。本当なら今頃、眠っている君にこれを投与してあげるはずだったのに…君はことごとく僕の計画をひっくり返す」

 最後は少しの苛立ちを滲ませながら、ジョセフは注射器をシェリーの眼前に突きつけた。

「君が眠っている間…僕は出来る限りの時間、君に愛を囁き続けたんだよ。君の素晴らしさを、可能性をね。君が少しでもいい夢を見られたらと思って」

 饒舌に語り続けるジョセフを、シェリーは力いっぱい睨みつける。

「効果テキメンね。おかげで最高の悪夢が見られたわ」

 精一杯強がってみせたが、"G"の改良版という言葉に、シェリーは内心激しく恐怖していた。

 そんなものを打たれたら、あの悪夢がいよいよ現実と化すだろうことは想像に難くなかったからだ。

「化け物一匹作ったところで、それであなたはどうするの?一体何が目的?」

 声が震えそうになるのを堪えながら、黙り込んだジョセフに問い続ける。

 体がまた動くまで、何としても時間を稼がねば。

「目的、ねえ」

 シェリーの意図を知った上で、わざと乗っかってやるような口調でジョセフが呟く。

「一目見たい、それだけさ。あのウィリアム・バーキンが成しえなかった事を、僕がやり遂げたかった。19年間、ラボで君を見ながら、ただそれだけをずっと夢見て来たんだ」

「…そんな…!」

 今度は怒りで、シェリーは頬を染めた。

「殺したければ、生まれ変わって僕を殺したまえ。喜んで、君の最初の供物になるよ」

「ふざけないで!」

「とんでもない。僕は真剣そのものだ。シェリー」

 凍りつくような低い声で、ジョセフが言った。

「情熱に満ちた、素晴らしい19年間だった。君には本当に感謝している。言い尽くせない思いがここに全部詰まってるんだよ…どうか受け取って欲しい…」

 完全に常軌を逸した眼差しがシェリーを射抜く。

 ジョセフは狙いを定めるように、シェリーの心臓の位置に一度注射器の先端を当てるとーーー勢いよくその腕を振り上げた。 

「いやぁぁ!!」

 シェリーの絶叫が空を切り裂いたその時ーー

 何者かの腕がジョセフの背後から現れたかと思うと、一瞬のうちにその首に絡み付き、注射器を持った腕を締め上げた。[newpage]

 シェリーを組み伏せていた手を離して、ジョセフは首にかかった腕を引き剥がそうとした。

 が、その顔からみるみるうちに血の気が失われていく。

 注射器を持った手も同様に、折れんばかりに握り締められた手首がミシミシと軋み、やがて注射器が指から離れ、ベッドの上に転がった。

 シェリーが呆然と見つめる中、ジョセフはもはや完全に白目を剥いていた。

「…っと、やべえ」

 短く呟く声がしたかと思うと、ジョセフの体がベッドの脇へと放られ、一度跳ねてから、ズルズルと床へ落ちる。

 その様子を呆然と目で追っていたシェリーは、不意に大きな布を頭から被され、思わず激しく首を振って暴れた。

「おい!シェリー!落ち着け!俺だ!!」

 何者かが布越しにシェリーの肩の辺りを掴んで揺する。

 その声に、シェリーは一瞬にして動きを止めた。

(え?嘘…嘘でしょ?)

 有り得ない事だと思いつつ、おぼつかない手つきでそっと布をめくり、頭を出すとーーーそこに、思った通りの人物が、お馴染みの仏頂面で立っていた。

「…ジェイク…?」

 自分の呟きすら信じられず、シェリーは大きな目をさらに大きく見開いて、目の前の男を見つめる。

「なんとか間に合ったな」

 明後日の方向を向きつつ鼻を軽く擦りながら、ジェイクが言った。

 その瞬間、シェリーは被っていた布をかなぐり捨て、全身全霊で体を起こそうとしてーーそこでバランスを崩した。

「!」

 咄嗟にその体をジェイクは抱き止めたが、低い態勢に急にのしかかったシェリーの全体重に、同じくバランスを崩して、結果二人で床の上に倒れ込んだのであった。

「つつ…おい大丈夫か、シェ」

 リーと続けようとして、しかしそこでジェイクの言葉は途切れた。

 自分を庇って下になったジェイクを見つめるシェリーの目から、止めどなく涙が溢れていた。

「…ッ」

 声にならない声を上げ、ジェイクの胸に顔を埋める。

 ジェイクはそれを見て、ああ、間違いなくシェリーだ、と胸の中で呟くと、瞬間的に抑えきれなくなった思いに押されるがまま、上に乗ったシェリーを強く抱きしめ、まだ濡れている髪に頬を寄せた。

 ーーもう会えないかと思った。

 ーー失ったかと思った。

 でも、最後はやはり信じていた。

 そんなはずは無いと。


 鼓動を重ねているだけで、信じられないほどの安息感が二人を包み込む。

 シェリーはその温かさに身を委ねながら、全く唐突に思った。

(私、ジェイクのこと、好きなんだ)

 そこではっと目を開く。

 自分の心の呟きに自分で驚くと同時に、心臓が早鐘を打ち始めた。

(それもただ好きなんじゃなくて…すごく…すごく…)

 思考が止まらない。思いが勝手に次々と言葉を結んでいく。

 このままだと、口から溢れ出てしまう気がして、シェリーは狼狽えた。

 自然に体に力が入り、それは抱きしめるジェイクの腕にも伝わった。

 ジェイクはシェリーの顔を覗き込もうとしたが、体勢的に難しい。ーーが、代わりに別のことに気が付いた。

 シェリーは裸だった。

 正確には部屋に入った瞬間にはそれを知っていたはずだったが、ようやく再び抱きしめることの叶った喜びと安堵に追いやられ、忘れていた。

 だが再度認識するところとなった瞬間、シェリーに触れている全ての部分の感度が急激に上がったのを感じ、ジェイクは思わず眉根を寄せた。

(まずいな)

 滑らかな肌の感触となんとも言えない柔らかさは、想像以上に強烈だ。

 嫌でも体の奥が高まるのを感じる。

 その時、突如速まったジェイクの鼓動に気付いてシェリーが顔を上げ、ジェイクを見た。

 もう泣いてはいないものの、大きな青い瞳は潤んで揺れている。

 と、その目がジェイクの視線とぶつかった瞬間、シェリーの頬が赤く上気した。

 その表情があまりにも艶っぽく見えて、今度はジェイクが狼狽えた。

(好き…あなたが好き…ジェイク…)

(くそっ…このままだと止まんなくなっちまう)

 二人とも互いに、決壊寸前の思いを抱えていた。

 そして先に動いたのはジェイクだった。

 と言っても、首を捻って大きく視線を逸らすのが精一杯だったのだが。

 しかし、その先で何かが静かに自分たちを見下ろしていることにジェイクが気付いた瞬間、束の間の再会の余韻は終わりを告げた。

「おぉッ」

 思わず声が出る。ジェイクは素早く横に体を倒すと、今度はシェリーの上になる体勢を取りつつ、流れるような動きで片腕でホルスターの銃を抜き、その何者かに銃口を向けた。

「…何だこれ、ミイラ、か?」

 微動だにしないそれと、その異常さに気付いて、ジェイクは気味悪げに顔をしかめる。

「あ…」

 ジェイクの視線を追ったシェリーも小さく声を上げて青ざめた。

 土塊のような、もの言わぬ人形。

 ジョセフはそれを確かに"母"と呼んだ。

(そうだ、ジョセフーー)

 シェリーがその男の存在を思い出した次の瞬間、ジェイクが豹のように俊敏な動きで跳ね起き、片膝をつく姿勢を取った。

 シェリーも、先程自分が床に捨て落とした布を咄嗟に拾い上げ、胸元を隠しながら、体を起こす。

 シェリーを後ろ手に庇うジェイクの視線の先、ベッドを挟んで部屋の反対側に、ジョセフが立っていた。

 首元を押さえ、乱れた髪の奥から、こちらを睨みつけている。

 片手にはあの注射器を持って。

「ジェイク・ミューラー…"C"の抗体を持つ男…お前の役目は終わったはずだ。なぜッ…ここにいる…!」

 低く呻く声は濁って掠れ、時折咳き込む様は、先程ジェイクに締め上げられたダメージを色濃く残しているようだった。

 ジェイクがふんと鼻先で笑う。

「勝手に終わらせんじゃねえ。なんでここにいるのかって?お前みたいなのがシェリーのそばにいるんじゃ、おちおち旅もままならねえからだっての」

 軽口で返してはいるが、その眼光は鋭い。

 ジョセフは一瞬憎々しげに眉を吊り上げたが、ジェイクの向こうのシェリーに目を止めると、不気味なほどの笑顔を見せた。

「シェリー、こんな予定じゃあなかった。でも、これも悪くはない。むしろ、君にとって喜ばしいことになるかも」

 この時、シェリーはこの男がやろうとしている事を察して戦慄した。

「僕は君と同じになる。真の理解者になるんだ。もう君を、一人にはしない」

「だめよ、やめて!!」

 叫んでシェリーが立ち上がろうとしたのと、ジョセフが自らに向けて注射器を持った手を振り下ろしたのはほぼ同時だったがーーその刹那を縫うように、一筋の光が走った。

「ぐぅっ」

 ジョセフがくぐもった声を上げ、体をくの字に折る。

 ジェイクが投げたナイフが、ジョセフの手を見事に深々と貫いていた。

 注射器が再びその手から床に落ちる。

 ジェイクの動きは早かった。

 ベッドを滑るように跳び越えると、両膝をついて脂汗を流しているジョセフの前に立つ。

 そして、床に転がった注射器を一息に踏み潰した。

 ブーツの下で鳴ったパキッという小さな破砕音に、ジョセフが狂ったような悲鳴を上げる。

「もう二度と、"G"は使わせねえ」

 ジェイクは唾棄する代わりに呟いた。

 そしてその声は、シェリーにも届いていた。

(ジェイク…)

 それが自分への思いやりから発せられていることだと直感して、シェリーは胸が熱くなった。

 粉々になった注射器のガラス片と、中身であったものが床に残したシミを、抜け殻のように呆然と見ているジョセフの肩を掴むと、ジェイクはジョセフの腰から器用にベルトを引き抜き、背中に回したジョセフの腕に巻き付けて固定した。

 おもむろにPDAを取り出すと、素早く液晶を叩く。

「…よう、俺だ。終わった。シェリーは無事だ。犯人の野郎の回収は任せたぜ。…ああ、ならすぐだな。了解」

 早口で必要最低限といった内容を話すと、さっさと通話を切る。

 ーーと、その背に温かな感触が触れた。シェリーだ。

 言葉の代わりに頬を寄せ、瞳を閉じる。

 ジェイクは静かに微笑むと、後ろから回されたその手をそっと握り返した。



             To an epilogue.

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管理人ころが描いた(書いた)、愛するバイオハザードのファンアートと 短い二次創作小説、ゲームプレイ日記の保管庫。

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