「Survivors」 ~ジェイク編最終章、ウスタナク撃破後から脱出までのお話

「お前は俺を……救ってくれた。……ありがとうな」

 ジェイクにとって、今はそれが精一杯の言葉だった。張り詰めたようなシェリーの表情がふわりと綻び、荒い呼吸に喘いでいた口元が、やわらかな弧を描く。その様子がスローモーションのようにジェイクを釘づけにしている中、おもむろに伸びたシェリーの白い手が、格子状の床を掴むジェイクの手に重ねられた。グローブ越しでもはっきり伝わる温もり。この手を幾度も取ってここまで来たというのに、まるで初めてのように、思わずびくりと震えが走り、ジェイクは内心焦った。この貨物用エレベーターの激しい振動がうまくかき消してくれていることを願ったところで、自分を見つめるシェリーの瞳とひたと焦点が合った。

 時間で言えば、ほんの数秒。足元から迫り上がってくる炎の光と熱で揺らめくシェリーの碧の双眸。そこに確かに自分の顔が映っているのを認めた瞬間、ジェイクは反射的に、それでもできるだけ平常に見えるよう視線を外し、前を向いていた。なぜそうしたのか、自分でも分からなかった。少し遅れて、シェリーも前方に顔を向けたのが気配でわかった。 

 視線の先は、眩しい光に溢れていた。出口が近い。このエレベーターが上がり切ったら、すぐに爆発から逃れる術を取らなくてはならない。集中しなくては。死闘の末にやっとの思いであの巨体の怪物を葬った二人だったが、本当に安心するにはまだ早いことを悟った瞬間から、その表情には再び緊張が走っていた。そして同時に全く同じことを考えていたのだが、それは流石に互いに知り得ることはなかった。

ーー絶対に、生きて脱出する。もしもの時は……

 私がジェイクを、

 俺がシェリーを、

 必ず、守る。

  重く鈍い音と共に、一際大きな振動が二、三度起きて、二人は激しく揺さぶられた。必死で床にしがみついている間に、急速にスピードが落ち始める。エレベーターが終着点に着いたのだ。

 「シェリー!」

 叫んだジェイクの視線の先を、シェリーも素早く確認する。下層の爆発を感知したのか、けたたましいサイレンが鳴り響いている中、眼前に迫った眩さが地上の日の明かりそのものだとわかった。

 大きく左右に開かれた鉄扉の向こう。そこを目指し、二人は同時に体を起こした。爆風と熱は、すぐ背後で、二人を握り潰そうとその腕を伸ばしている。

「跳ぶぞ!」

 ジェイクが叫んだのを合図に、正面に見えたホームの先端目がけて、二人はエレベーターの床を蹴った。そうしてつま先が硬質の足場の感触をとらえた瞬間、勢いそのままさらに先へと転がり出た。扉を抜けると共に舞い上がる砂煙と乾いた土の匂い。豹を思わせる動きでジェイクは体勢を立て直すと、シェリーを抱いて横に跳んだ。

 まさに間一髪で、その後を爆風と炎が走り抜けた。地下から響く轟音は、ついに二人を捕らえることの叶わなかった、あの追跡者の断末魔に似ていた。

「シェリー、大丈夫か」

 口早に言いながら、ジェイクは腕の中をのぞき込む。砂埃にまみれたブロンドの髪が揺れ、小さく咳き込みながら、シェリーがジェイクを見上げる。

「大丈夫、ありがとう、ジェイク」

 しっかりした声を聞き、思わずジェイクは笑みを漏らした。

 立ち上がり、落ち着いて周囲を見渡すと、そこは高い木々と、それを大雑把に切り倒した切り株とに囲まれた人工的な広場といった空間だった。上空からは、木々の枝葉に阻まれて視認は難しいだろう。この貨物エレベーターの出入り口も迷彩塗装され、巧妙にカムフラージュされていた。

「ーークリス達は、脱出できたかしら…」

 貨物エレベーターの方を見つめながら、シェリーが呟く。地下からは絶えず爆発音が聞こえる。あの海底施設そのものが崩壊しようとしているのだろう。自分達の戦闘だけがその火種とは考えにくい。脳裏をよぎるのはひとつ。途方もなく巨大で、あの施設丸ごとを揺るがしてもおかしくないあの蛹とーーそしてその中から生まれ出た怪物だった。

「あの二人はやり遂げた。そういうことだろ」

 シェリーの不安を払拭できるような答えではないと知りつつ、ジェイクはそれだけはある種の確信を持って言うことができた。

 隔壁に隔てられる直前に見た、クリス・レッドフィールドの眼差し。死を覚悟してはいても、だからと言って容易く命を差し出す気は無い。そんな意志の上の決意を感じ取ったからこそ、最後の最後まで彼らは決して諦めないだろうという思いが、ジェイクの中にあった。ならばきっと。そしてまたどこかで、必ず。

「……死んでもらっちゃ困る。まだ話は終わってねえからな」

 呟きながら、クリスに銃口を向けたあの瞬間をジェイクは思い出していた。シェリーもまた同様で、心配そうにジェイクの横顔を見つめた。だがあの時確かに発せられていた強い殺気は、もはや感じられない。複雑な思いは在るだろう。だがジェイクはそこに固執することはないという確信めいたものが、シェリーの胸に広がっていった。

 大丈夫。きっと大丈夫。

「だって、ジェイクだもの」

「ん?」

「えっ?」

 ジェイクがこちらを見て初めて、シェリーは心の内をそのまま声に出してしまったことに気づいた。それは、ジェイクであれば自分は無条件に信じることができるのだという宣言ではないのか。

(私たち、ここまで"パートナー"だったんだから、そんなの当たり前よね)

今度は声に出すこともなく、シェリーは自分に言い聞かせた。この絶対的な信頼の拠り所となる感情を冷静に分析するのは、今でなくともいいだろう。

 と、その瞬間、足元の地面が大きく揺れ、二人は咄嗟に身を寄せ合った。じわりと首筋に汗が滲み出る。

「……嫌な予感がしてきやがった」

「ええ……」

 中国の監禁施設からの脱走後、市街地のクンルンビルで捕らえられてからあの海底研究所で目覚めた二人は知る由もない。海底研究所直通の出入り口のカムフラージュとして建てられた油田基地。そこからから数マイル離れた、地図にも載っていない小さな無人島にいることを。そして今二人が感じている振動は、崩壊する研究所と繋がったこの島が、アトランティス大陸よろしく海底に没するまでのカウントダウンであった。

 その些細まではわからずとも、このままではこれまでの努力も文字通りの水の泡になる。それだけは十分に肌で感じ取れた。

「やれやれ、いつになったら一息つけるんだっての」

 首を鳴らしながらジェイクが軽い口調で呟く。その軽口が、絶えず続く緊張感に対しての少しでもガス抜きをというジェイクなりの気遣いなのだと気づいた時、疲労も限界に達し鈍化しかけていたシェリーの思考は息を吹き返した。

(クリス達が私達を救助しに来てくれたということは、あの施設の位置をBSAAかFOSが把握してくれているはず……それなら回収のヘリも飛ぶだろうし、それに)

 そこまで考えてから、シェリーはエレベーターの方を見た。開かれた扉の中からは、小さな火種を時折瞬かせた煙がもうもうと上がり、上空へと伸びている。シェリーは小さくうなずくと、おもむろにジェイクの手を取った。振り向いたジェイクの目は大きく見開かれていて、時と場所が違えば、シェリーはその人間味溢れる表情を大いに楽しむことができただろう。だが今は一刻の猶予も無い。

「ジェイク、この煙はきっとこの場所を知らせる"狼煙"になるはず。FOSかBSAAのヘリに見つけてもらえる可能性があるわ。ここじゃなくて、もっと開けた場所を探しましょう」

「……なるほど、そいつは言えてるな。よし、急ごうぜスーパーガール」

「もう、その呼び方やめてよ……」

 桜色の唇をとがらせて呟くシェリーの肩を笑いながら軽く叩いて、ジェイクは次の一歩を促した。

 密集する木々の下、鬱蒼とした茂みや隆起する根が這う中、あのエレベーターへの物資の往来で出来たと思しき轍を辿りながら、二人は進んだ。

 先行は山谷の戦闘にも慣れているジェイクだったが、それに遅れることなく、かと言って無理をしている訳でもなくシェリーも続く。今や唯一の武器であるスタンバトンを片手に、周囲への警戒も怠らない。

「なんか、いきいきしてんな、お前」

 時折振り向いては様子を見ていたジェイクが思わず言うと、シェリーは軽く額の汗を拭いながら微笑みで応えた。

 この様な状況は、エージェント訓練生時代に受けた、野外のサバイバル演習以来だった。毎回必ず脱落者が出る過酷な訓練だったが、十年以上の歳月を無機質な壁と機械と検査技師に囲まれていたシェリーにとっては、自然の空気の中で味わう「生きるための選択」の連続は、全細胞が震える程の開放感に満ちた経験だった。

「…でね、その訓練、私が成績トップだったのよ!教官の"嘘だろ?"って顔が痛快だったわ」

「ほぉ、そいつはこういう顔か」

 言いながら、ジェイクは大袈裟に眉根を寄せ、不自然な笑みを浮かべてみせる。

「そう!まさにそんな感じ!…って、まさかジェイク信じてないの?本当なんだからね」

「へぃへぃーーあ痛っ」

 適当に手を振りながら歩き始めた瞬間、腰の辺りをスタンバトンで小突かれ、ジェイクは思わず前方によろけた。

「あなたって、時々、本当に、生意気」

 一言一句強調しながら、シェリーが睨みつけていた。この調子だと、次は電流までお見舞いされそうだ。

「生意気って、お前だってそんな歳変わんねえだろ」

 立ち止まって、小突かれた箇所を手でさすりながらジェイクが言うと、シェリーはとんでもないと目を見開いた。

「私、26よ。あなたよりずっと、歳上なの」

「あ!?に、にじゅうろく!?」

 自分でも呆れるほど間抜けな声が出ていた。どう見ても自分と同年齢くらいだろうと思っていたし、人によってはひとつか二つ下だと言う者もいるだろう。聞いた今でもにわかには信じ難かった。そしてそれはシェリーもお見通しだったようで、ようやくその事実を突きつけてやれたことに満足した様子で、フフンと鼻を鳴らした。

「それじゃあ行きましょうか、ジェイクくん」

 自分を追い越し、再び進み始めたシェリーの背中を呆然と見つめながら「マジか」と呟きが漏れる。

「……やっぱりスーパーガールじゃねえか……」

 その後も足元から絶えず不気味な振動を感じながらも、二人の他愛無い会話は続いた。

「ね、あのジェイクのピアノ、凄かった。あんな難しい曲弾けるなんて。長くやってたの?」

「俺がそんな風に見えるか?監禁されてた間に、何度か遠くで聴こえたことがあって……何となくそれを真似しただけだ」

「何となく真似しただけで弾ける曲じゃないわ。あの曲ね、父が好きだったの。いつか弾いてあげられたらと思ったけど、私にはその才能は無かったみたい。練習の音がうるさいって、小さな電子ピアノ…母に早々に捨てられちゃった」

 付随する様々な感情ごと思い出したのか、シェリーの声がわずかに沈む。ジェイクは眉根をひそめ、小さく首を振った。

「……何だそれ、ひでぇな」

「ん、まぁね、……えっと、そういえばジェイクのお母さんは、とても素晴らしい人だったみたいね!資料で読んだわ。『幼少時は非常に献身的な養育環境にあり』って一文だけだったけど、何だか色々想像しちゃって。勝手にちょっと羨ましくなったりして……」

 自分のせいで雰囲気を濁したと焦ったシェリーが、打って変わった明るい口調で言った。

「父の事は前にも話したけど、母も研究者だったの。骨の髄まで、ね。二人とも、たまに家にいても、常に頭は新しい実験や検証のことでいっぱいって感じで。境目が無いのよ。音楽を聴いてた、コーヒーを飲んでた、でもその次の瞬間には急いで部屋に閉じこもってぶつぶつ計算式を練ったりしながら、朝まで出て来なくなる」

 どこかコミカルに表現するのは、シェリーの気遣いだろう。そんな風に考えながら、ジェイクはシェリーの背中を見つめていた。顔を上げ、前を向いて歩き続けるシェリーの表情はうかがい知れない。

「誕生日を一人で迎える度に考えてた。何で、子どもなんて作ったんだろうって」

 それは、考える前に口をついて出たような、独り言に近いつぶやきだった。ふと、こちらからは見えないはずのシェリーの瞳に涙が光ったように感じて、ジェイクは目を細めた。その気持ちなら、自分も少しは理解できる。

 ジェイク自身、母を亡くし、父の面影を求めた相手に裏切られ、自分の心はもう死んだと思っていた頃、それでも本能的に生きようとする肉体を呪いながら、考えたことがあった。なぜ、生まれてきたのかと。

「答えは怖くて聞けなかった。結局そのまま、あの日ラクーンシティーで、父も母も逝ってしまった……でもね」

 ふいにシェリーが振り向いた。しかしその顔に、ジェイクが錯覚したような涙の名残は無い。曇りのない笑顔は、煤や砂、汗に汚れながらなお輝いて見えた。

「クレアやレオンに出会えて、あの街から脱出できた。生まれた理由より、続いていくこれからに向き合って生きようって思って……そして今があるの」

 自分たちには相通じるものが多いということは、ジェイク自身、監禁されていた約半年間考えるうちに、なんとなく感じていた。

 互いに災禍の火種となった親を持ち、その因果に少なからず翻弄され、苦しみの中なんとか生き延びてきた サバイバー。だがシェリーは、そこからさらに、感傷に涙することも、心を塞ぐことも乗り越えていた。ジェイクが見出せずにいた道の先に立っていて、そこから呼びかけ、導いていたのだ。

「……お前ってさ、すげぇな」

 泣いているなどと勘違いした自分を恥じながら、ジェイクはつぶやいた。月並みで幼稚な表現だったが、心からそう思っていた。

 シェリーは照れ臭そうに前を向くと、少し歩調を早めた。ーーと思うと、急に立ち止まり、再びジェイクの方へ振り向いた。

「ありがとう」

 真っ直ぐにジェイクを見つめながら、シェリーが微笑む。

「……何がだよ」

 不意打ちもいいところで、ジェイクはやっとの思いでそれだけ返した。

「あれだけ決意したのに、私、何度も揺らいだの。でもその度に、あなたが手を引いてくれた気がする。ジェイクとでなかったら……きっとここまで来られなかった」

 自分が今どんな表情をしているのか、ジェイクには想像もつかなかった。もう何年も、人から感謝されることなど無かったし、第一シェリーの言うそれは、自分こそがシェリーに対して思っていたことなのだから。

 こんな時、素直に笑顔になれるシェリーがジェイクは心底から眩しかった。返したい言葉が無数に浮かび、直後に全てを飲み込んだ。伝えてしまえば、居ても立ってもいられず、そう、抱き締めてしまいたくなる気がした。いや、すでに十分、その衝動と戦っている気がする。自分のそんな状況が意味するものが何なのか、気づかないフリをするのももはや限界だった。ーーだからと言ってどうしろと?

 絶句したまま立ち尽くしている格好のジェイクとは対照的に、胸の内を伝えきったシェリーの表情は晴れ晴れとしていた。

「お喋りし過ぎたわね、さあ行きましょ!」

 再び前を向き歩き出したシェリーに遅れて、少し伸びた坊主頭を乱暴に掻きながら、ジェイクも後に続いた。いつか向き合わなければならない気持ちが、急速に膨れ上がっていくのを感じながら。

 あのエレベーターの場所からどれぐらい来ただろうか。似たような風景が続く中、時間の感覚が曖昧になる。背の高い草むらが増え、注意深く見定めていないと、道を見失いかねない。上空の黒煙のせいで森は薄暗く、異臭が鼻をついた。

 と、不意にシェリーが無言のまま立ち止まった。その背中から漂う緊張感に気づくと、ジェイクは素早く音を立てないように近づき、低く押し殺した声で問いかけた。

「どうした」

「……何かいる。この音……声?聞き覚えが……」

 シェリーがそこまで呟いた時、ジェイクが背後からシェリーを抱きしめるようにしながらその口元を押さえ、しゃがみ込んだ。

 ガラスを掻く不快音に似た高音と、奇妙にくぐもった低音が不規則に続く。そこに重なるように、びちゃ、びちゃと地面を叩く水音。ーー二人の脳裏を同時に過るものがあった。

 あの巨大な水底の施設の中、排水溝、ダクト、そこかしこから湧いては襲ってきた、不気味な化け物。後にB.O.W研究者より「ラスラパンネ」と名づけられるそれが、いる。

 ジェイクは注意深く茂みの隙間から視線を走らせた。自分達の進む前方に、よじれて黒光りする肉塊のような影が揺れている。そして、影は一つだけではなかった。ジェイクの奥歯がギリッと鳴った。

「くそったれ……」

 きっと、この島の防衛システムさながらに、無数にうろついているのだろう。部外者は、何度でも蘇生・再生し襲いかかってくるアレに追い回されることになるのだ。ひとたび捕まれば、粘着く細腕が想像以上の怪力を持っていることを漏れなく知ることになる。ジェイクは一度押さえつけられ、間一髪のところをシェリーのショットガンの銃撃で救われていた。あの時見えた、アレの口と思しき暗い穴の奥から迫り上がって来ていたもう一つの醜悪な肉塊を思い出すだけで、本能的に怖気が走る。

 地面を揺るがす振動は少しずつ様子を変え、何かが下から突き上げるような衝撃が加わり始めていた。ーー時間が無いと、本能が告げている。

「ジェイク、行くしかないわ」

 腕の中で声がして、ジェイクが顔を傾けると、強い光をたたえた碧眼が見上げていた。

 悪夢が受肉した地獄のような光景だったが、その奥にかすかに見える光をシェリーは見つけていた。この森を抜け、救助に備えるに適した場所に出られる。その目前まで来ているのだ。

 ジェイクは無言でうなずいたが、そこで初めてシェリーを抱きしめたままだと気づくと、慌ててその腕を解いた。

 目視できるだけで、五体、いや六体か。茂みの中にもいるかもしれない。だが、銃は無く、やり過ごせるような時間も無ければ作戦を練る余地すら無い。出来ることはただ一つ。全力で、駆け抜けるだけだ。

 その時はおもむろに訪れた。

 どんっと一際強い揺れが一帯を襲った。しゃがんだ体勢の二人は咄嗟に手をついて体を支えられたが、ただでさえギリギリのバランスで立っているようなアレは、次々と草むらに倒れ込んだ。ーー今だ。

 ジェイクとシェリーは同時に立ち上がると一気に駆け出した。

 ギィッと何かを引き絞るような音と共に、視界の端々で次々アレが立ち上がるのが見えた。二人は野生の獣の様に全ての感覚を総動員して、走り、跳んだ。背後に追いすがる幾つもの気配を感じながら。そうして、点のような状態からいつの間にか目の間に広がっていた光の中に飛び込んだ。

 鼻腔に飛び込む潮の香りと、荒々しく揺れる波と白い飛沫、青く澄んだ晴天に墨汁の如く滲み込む煙、吹き上げる風。

 急に開けた視界に一瞬目が眩んだが、それが治るとジェイクは素早く周囲を見渡した。

 大きな流木が横たわった向こうに砂浜が見えたと同時に、空気を震わせる重低音が耳に届き、二人は顔を見合わせた。

「ジェイク、ヘリだわ!近くにいるはず!」

「ハッ、ジャストタイミングだぜ!行こう!」

 プロペラ音のする方、砂浜へと再び走り出す。と、それを待っていたかのように、目の前の茂みから、化け物が粘液を振り撒きながら飛び出して来た。

「危ない!」

 シェリーが叫ぶのと同時に、すんでのところでジェイクは身をよじってその突撃を避けた。巨大な口を開いたまま二、三歩よろけた化け物に、前に出たシェリーが、電流を充填させたスタンバトンをフェンシングさながらにその口腔に突き刺す。眩い明滅がいく筋も閃く中、不気味な色の煙と共に、ゴムを焼いた様な刺激的な化学臭が一瞬にして辺りを覆う。化け物が激しく身をくねらせながらスタンバトンに手をかけた。

「シェリー、しゃがめ!」

 ジェイクの声に、シェリーは反射的にスタンバトンから手を離すと、その場に屈み込んだ。化け物が再びよろめきながら、天を仰いで絶叫する。ーー高々と振り上げられたジェイクの右脚が、落雷の如くその頭上に振り下ろされたのは、その瞬間だった。

 ブーツの踵は正確に、突き立ったスタンバトンの先端をとらえた。杭の様に打ち込まれたバトンが化け物の喉笛を突き破り、波打つ体は勢いそのまま地面に打ちつけられた。

「行くぞ!」

 ジェイクが立ち上がるシェリーの手を引き、二人は地べたでのたうつ化け物の上を飛び越えた。

 足元が砂地に変わると、途端そこに足を取られた。沈み込み、もつれかけ、必死でバランスを取りながら、二人は砂浜を駆けた。さながら悪い夢の中で足掻き続けているようなもどかしさの中、ヘリの姿を探す。耳がおかしくなりそうな爆音は、その存在が近いことを告げている。

 不意に潮と砂が入り混じった風が巻き上がり、視界をも奪おうとした瞬間だった。再び強烈な振動が、衝撃波のように二人を襲った。

 繋いでいた手が離れ、それぞれが砂浜に倒れ込む。すぐには立ち上がれない程の揺れに翻弄されながら、煙幕のごとき砂塵の中をジェイクは必死で辺りを見回した。

 以前の自分なら、地べたを這い、なりふり構わず必死で誰かを守ろうとしている奴を見たら、「無様だな」と一笑に付していただろう。そこまでして守る価値のあるものなぞ、とうに失われていたのだから。だが、今はもう違う。

 絶対に諦めない。病床に伏した母に誓うも、一度は粉々に砕かれた魂が、再びジェイクの中で、かつて以上に燃えていた。そしてわずかに一筋開けた視界に、海上で横向きにホバリングする黒いヘリが見えた。

 その中からこちらを見ている影と、浮かび上がるように黒光りする何か。ーー真っ直ぐ向けられた銃口だった。

 撃たれる。

 ジェイクの脳が判断したその時、目の前に砂塵でも無い別の何かが割り入ってきた。

 ブルーのスカーフを、千切れそうなくらいになびかせながら。

「大丈夫」

 耳元でつぶやく声に、ジェイクの脳裏で、幼い自分を胸に抱いて微笑む母が、鮮明に蘇った。

ーー大丈夫よ、必ずあなたを守るから。

 違う。今度は。今度こそ、俺が。

 ジェイクは盾となろうとしていたシェリーを抱き寄せながら身をよじり、砂浜に押し倒すと、そのまま覆いかぶさった。

「ジェイク!」

 どこか悲痛な声音で、シェリーが叫ぶ。

 貫かせない。どんな弾でも、この体で受け止める。シェリーには傷ひとつ、つけさせるものか。

 決意を燃やすジェイクの背後で、ダン、ダンと立て続けに重い発砲音が空を切り裂く。反射的にジェイクは目を閉じ、全身に力を入れた。

 生暖かい感触と共に、ジェイクの二の腕に湿った何かが跳ね落ちてきた。咄嗟に見上げた先で、砂浜に倒れたあの化け物が目に飛び込んでくる。真っ二つに分断され、白く変色し、痙攣している。行動不能になっている時の特徴だと気づいた。

 ジェイクは、振り返り、ヘリの方へと目を凝らした。操縦しているのも、巨大な対物ライフルを構えているのも、ジュアヴォではない。組織の判別はつかないが、人間だ。

 横に並んだ二名の狙撃手の手元で、立て続けに火花が爆ぜる。その銃撃は、砂浜に次々殺到する化け物を正確に吹き飛ばしていった。

『おい、無事か!!FOSの要請で救助に来た!』

 ヘリからの呼びかけが響き、二人は急いで体を起こした。ジェイクが手を振って合図すると、狙撃手の隣で別の隊員が縄梯子を降ろす。

『化け物は食い止める!早く乗れ!』

 二人は再び走り出した。蹴り上げる砂が海水に変わる。頭上で銃声が鳴る度に、背後では醜怪な肉片が砂浜に飛び散った。

 浅瀬が終わる間際、目の前に揺れる梯子を、ジェイクは飛びつくようにして掴んだ。

「登れ、シェリー!」

 声を張り上げながら、シェリーに梯子を握らせる。

「あなたが先に!」

 こんな時でもやはりシェリーはシェリーだ。

「いいから行け!あいつらが再生するぞ!」

 有無を言わさず、ジェイクはシェリーを抱き上げ、梯子の上を掴ませた。

 『早くしろ!』

 上からも急き立てられ、仕方なくシェリーは梯子を登り始めた。あのエレベーター口から噴き出す黒煙とは別に、至る所で煙、そして炎が上がり出しているのが、視界の端に見えた。

『上がれ!離脱するぞ!』

 シェリーがヘリの真下まで来た辺りで、中から隊員が手招きし、ジェイクもそれに続く。濡れて重くなったブーツの底がやっと梯子にかかった瞬間、ヘリは上昇を始めた。

「ジェイク!」

 先に収容されたシェリーが、隊員の制止を振り切り精一杯に腕を伸ばしている。ジェイクが思わず苦笑しながらその手を握り返すと、驚くような力強さで引き上げられた。そのままヘリの中に這い上がるや否や、待っていたのはシェリーの熱い抱擁だった。

「お、おい……!」

 完全に不意をつかれたジェイクが、声にならない声を上げる。視界ごと顔面を覆った柔らかな感触に圧倒され、隊員達の笑い声と冷やかすような口笛のお陰で解放されるまで、ジェイクは尻もちをついたまま硬直する羽目になった。

 操縦席からパイロットが通信する声が聞こえる。

「シェリー・バーキンとジェイク・ミューラーの二名を無事保護。予定通りこれより中継基地へ向かう」

 隊員に促され、並んで座りベルトを装着する。窓から見えたあの島は、既に驚くほど小さかった。

「……なぁ、お次はこいつが撃ち落とされて……なんてこと、無いよな?」

 渡されたミネラルウォーターを一息に飲み干したジェイクの第一声に、思わずシェリーは吹き出したが、すぐに真剣な表情になって言った。

「大丈夫、そうなったって、また私が守るから」

 一瞬呆気に取られた後、ジェイクは盛大に声を上げて笑った。まだこんな風に笑えるのかと、内心自分でも驚くほどに。

 腹を抱え、目尻に涙を浮かべるジェイクの二の腕を、シェリーは肘で小突く。

「何よ、言っておくけど本気よ?まだまだ戦えるんだから」

「ハイハイ……ったく、お前には敵わねえよ」

 ジェイクは両手を上げて降参のポーズを取ると、大きく息を吐いた。やわらかな陽光に縁取られたシェリーの輪郭が、ほのかに霞んで見える。ジェイクはそのまま吸い込まれるように、シェリーの髪に顔を埋めた。

「ちょっ……お、重いわよ、ジェイク」

 急に耳元にジェイクの吐息がかかって、思わず赤面しながら、シェリーが言う。

「おまえのかみ、へんなにおいがする……」

 遠慮無しのジェイクのつぶやきに、シェリーは今度は怒りと恥ずかしさで頬を紅潮させた。

「お、お互い様でしょ!?」

 肩をいからせて睨みつけると、再びくっくっと笑う声が聞こえたが、それからすぐにジェイクの吐息が穏やかな寝息に変わっていることにシェリーは気づいた。ここまでの戦いに次ぐ戦いの連続を思えば無理もない。小さく微笑んで、シェリーもまたジェイクの肩に頭を預けた。

 窓の向こうは、忌まわしい黒煙を振り切って、今は穏やかな青空が広がっている。やわらかな陽光が照らす地平線が美しい。

 あの日、ラクーンシティーから脱出した時の光景が、風の匂いまでもまとって蘇り、シェリーの目から自然に涙がこぼれた。 

 あれからクレアやレオンと別れ、長く辛い時間を過ごし…そして今、また帰って来た気分だった。あの希望に溢れた瞬間に。

(ジェイクには、私と同じような思いはさせない。絶対に)

 ワクチンを作り、ジェイクが無事報酬を得て解放されるまで、自分の戦いは終わらないのだと、堅く己に言い聞かせる。

 不意に感じる、寄りかかるジェイクと触れ合う部分から伝わる温もり。その心地よさに思わずまどろみそうになり、慌てて大きく深呼吸し、再び窓の外を見る。

 シェリーは未だ気づいていない。自分がジェイクの手をしっかり握っていることに。そして、ふと薄目を開けたジェイクが、その手を握り返してから、再び眠りに落ちたことも。

SAVE ROOM

管理人ころが描いた(書いた)、愛するバイオハザードのファンアートと 短い二次創作小説、ゲームプレイ日記の保管庫。

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