private lesson ~ジェイシェリささやかなデートのお話

1.

「よおジェイク、元気か?」

「…おかげさんで」

 枕に顔を埋めたまま、ジェイク・ミューラーはぼそりと呟いた。

 通話の相手はレオン・S・ケネディだ。期待していたモーニングコールでなかったことに、ジェイクは落胆の色を隠さない。

「よし、今日も絶好調だな。あと30分でピックアップの時間だ。ロビーで会おう」

 あからさまな態度を意に介する様子もなくレオンが言う。ジェイクはようやく顔半分を上げると、眉間にしわを寄せたままPDAを睨みつけた。

「待てよ、あんたが来るのか?シェリーは?」

 それはジェイクにとって、極めて重要なポイントだった。

「うん、それなんだが、シェリーは少し帰国が遅れてる」

「なに?」

 ジェイクは跳ね起きるとそのままベッドから立ち上がった。瞬時に体に臨戦態勢に似た緊張が走る。

 レオンと同じく、アメリカにおいて「大統領の剣」と呼ばれる組織・DSO所属エージェントのシェリー・バーキン。今はジェイクの"個人的な"パートナーである彼女と、本来なら半年ぶりに会えるのが今日だった。

 ジェイクがかつて提供したC-ウイルス抗体に関して、二ヶ月前にアメリカで、対B.O.Wを想定した武器開発や既存のワクチンの改良を目的としたプロジェクトが発足した。その研究の第一段階の為に是非協力をという要請が、今や放浪のB.O.Wハンターとして噂が広がりつつあったジェイクに届いたのが一週間前だ。数日寝泊まりしていた宿の主人から手紙を受け取ったジェイクは、その中の一文に思わず釘付けになった。

「渡米された際には、DSOのシェリー・バーキンが貴殿の警護及び身辺世話役として就くことになります」

 そこに明らかに意図的なものを感じなくは無いもののーーー否応なしに思い出す。

 朝日のように輝く髪を。雄弁な青い瞳を。温かい指先を。そして、熱くやわらかな唇を。

 ジェイクは予定を前倒し、翌日拠点近くの中規模のテロ組織と、そこにB.O.W兵器を流していた武器商人を立て続けに壊滅させると、喜ぶ人々の間をすり抜けるようにして、空港へーーアメリカへ向かったのだった。

「ようスーパーガール」

 出発を待つ間、柄にもなく落ち着かず、シェリーに電話をかけた。

「ジェイク!」

 3コール目で出たシェリーの喜びを爆発させたような声に、ジェイクは少し伸びた坊主頭をしきりにかいた。向かいのベンチに座った若い男と目が合う。半笑いを浮かべたその顔に、鏡を見てみろと言われた気がして、ジェイクは思わず殺気に近いものを込めた目で睨みつける。男は慌てて立ち上がると、小走りに立ち去っていった。

「アメリカへ発つのよね?到着は?」

 やはりシェリーも、手紙の内容は把握しているようだ。

「夜中になるかな。その…お前が迎えに来てくれるのか?」

 軽く咳払いしてから問いかける。が、頭の中ではすでにその光景が出来上がっていた。到着ロビーの外で自分を見つけ、大きく手を振り駆け寄ってくる姿が、完璧に想像できた。ーーーが、その映像は次の瞬間露と消えた。

「…ごめんなさい、今回は行けないの」

 残念で仕方ないという口調でシェリーが言った。

 「この前メールで話した任務で、まだドイツにいるの。戻れるのは、明日の夜かな。レオンが代わりに迎えに行くわ」

「…そか。おう。了解」

 頭の中で霧散していったものを、切ない思いで片隅に避けながら、ジェイクは答えた。「うん」という短い返事の後、何やら深呼吸のような音が聞こえた。

「大丈夫、完璧に切り替える。公私混同はしない」

 かすかに聞こえるつぶやきは、ジェイクに、というよりは明らかに自分自身に言い聞かせているようだ。

 いかにもシェリーらしい"宣言"に、ジェイクは苦笑した。

「今笑ったでしょ」

「や?別に」

 シェリーの鋭い切り込みに、ジェイクが慌てて咳払いすると、今度はシェリーが小さく笑う声が聞こえた。

「ちゃんと切り替える。切り替えるけど…今は…」

 ためらうような、おずおずとした口調。ジェイクはPDAを持ち直すと、無言で耳を澄ます。

「あなたに会えるのが嬉しい。…早く、会いたい」

 恥ずかしそうに、それでいて熱のこもった声でシェリーが呟くのを聞いて、ジェイクは立ち上がって叫び出したくなった。

 一晩でも二晩でも抱き倒したい衝動を、歯を食いしばって耐える。

「明後日の朝は、必ず私が迎えに行くから」

「わかった」

 シェリーの声が妙にくすぐったく聞こえる。

 ジェイクは頭を抱え、次々に浮かび上がる邪念に必死で抗いながら、やっとの思いで言った。

「…無事で帰れよ」


「遅れてるって、まさかシェリーに何かあったのか」

 ジェイクは低い声で、詰め寄るように問いかけた。特殊なウィルスの保菌者でもあるシェリーを狙う輩はいつ湧いてもおかしくない。想像するだけで怒りが沸き上がる。そんな殺気立ったジェイクの気配は、電話の向こうのレオンにも如実に伝わったようだ。

「ジェイク、落ち着け」

「俺は完璧に落ち着いてるぜ」

 言いながら、既に着替えを済ませている。ザックの内側のポケットには、少しずつ貯めていた現金が入っている。この後のレオンの話次第では、すぐに空港に向かうつもりだった。ややあって、レオンの溜息が聞こえた。

「シェリーが警護していた人物の引き渡しの時に、横槍が入ってな。その場にいた関係者数人と…シェリーが負傷した」

「シェリーが!?」

「ジェイク」

 知っているだろう?と言外に含ませる。

「シェリーは無事だ。その後任務も完了させたよ。出国は大幅に遅れたが、ちゃんとやり遂げたんだ」

 それは暴れ馬をなだめるように静かな口調だった。

 やり遂げたーーその言葉に、誇らしげに胸を張るシェリーの姿が浮かぶ。ジェイクは小さく息を吐くと、ザックを床に置き、ベッドに腰掛けた。

「…了解だ。それじゃ、ロビーで」

 言って通話を終えようとした時、レオンが声を上げた。

「迎えに行けなくてひどく残念がってた。会いたかったって。なんだか妬けるな」

「ッ、うるせえ!」

 通話を切断すると、勢いでPDAをベッドに叩きつける。

 大きくバウンドして床に転がったそれを睨みつけてから、立ち上がって溜息と共に拾い上げると、ジェイクはロビーへ向かうべく部屋を出た。


2.

 簡単な問診や血液検査、今後のスケジュールなどが説明される間、ジェイクはどこか上の空になっていた。気付けば研究所施設のエントランスに立っていて、外はすっかり暗くなっている。大したことは何一つしていないが、妙な疲労感に襲われていて、お馴染みの声がすぐ近くで自分を呼んでいることを、短いクラクションの音で知るところとなった。

「お疲れさん。乗ってくか?」

 SUVの車窓からレオンが顔を出していた。正直有難い申し出だった。早くホテルに戻り、ベッドに倒れ込みたい。ジェイクは片腕を上げると、助手席に乗り込んだ。

「悪いな」

「なに、この近くに用があってな。移動中だから、そのついでだ。気にするな」

 珍しく素直な様子のジェイクに、レオンが笑いかける。車なら、ホテルまでは30分ほどといったところか。窓の外を過ぎ去る景色をぼうっとジェイクは眺めていた。と、不意に甲高い音が車内に響いた。何かの通信が入ったようだ。レオンがハンドルに付いたボタンを押す。

「レオン、予定は変更よ」

 落ち着いた女性の声がスピーカーから流れる。レオンは片眉を上げ、首を傾げながら薄く笑った。

「やれやれ、今回はお預けか。了解だハニガン」

 言って通信を切る。ジェイクが視線を向けると、前を向いたまま、レオンは肩をすくめた。

「…というわけで、今日はこの後はフリーになった。どうだ、ホテルのバーで一杯やらないか?」

「…まぁ、一杯くらい付き合ってやるよ」

「嬉しいね、それじゃあ今夜は俺の奢りだ」

 凄腕エージェントの意外にも人懐っこい笑顔を見て、ジェイクもついつられて小さく笑った。

 最後の角を曲がり、ジェイクの泊まるホテルが見えてくる。そのままホテルのパーキングに入るのかと思ったが、不意にレオンはハンドルを切ると、車を歩道に寄せて停まった。ジェイクがどうしたのかと口にするより早く、レオンは苦笑いを浮かべた。

「悪いな、急用を思い出した。また今度奢らせてくれるか」

「は?お、おう」

 直前まで、好きな酒の種類やら、頼んでもいないのにデートに使える雰囲気のいいおすすめのバーの話をしていたとは思えなかったが、ジェイクは呆気に取られつつ、有耶無耶のうちにうなずかざるを得なかった。

「よし、じゃあ、ホテルはすぐそこだ。俺は戻らなきゃならないから…またな」

 早口で言うレオンを訝しげに見ながら、ジェイクは歩道に降り立つ。直後、車はタイヤを鳴らしてUターンすると、さっさと視界から消えていった。

「何だよ一体…」

 思わず呟いたが、すぐにまぁいいかと息を吐くと、ジェイクはホテルに向かって歩き出した。程なくして、エントランスが見えてくる。ザックを肩にかけ直しながら、街灯に照らされたそこに目をやった時、ジェイクは一瞬立ち止まった。見覚えのある後ろ姿が、街灯の明かりの下に立っていた。

「…シェリー?」

 思わず呟く。距離からしてその声が届いたとは思えなかったが、次の瞬間その後ろ姿がこちらを振り向いた。

「ジェイク!」

 満面の笑顔で、千切れんばかりに手を振っているのは、間違いなくシェリーだった。


 ジェイクは思わず駆け寄った。シェリーも同時に駆け出して、危うくぶつかる勢いでまた同時に止まる。が、止まるや否や、ジェイクはザックを地べたに放ると、シェリーを引き寄せ力の限りに抱きしめた。

「ジェイク、くるしっ…」

 呟きながらシェリーがジェイクの腕をタップする。ほんの僅かに力を緩めると、困ったような、それでいてこの上なく嬉しそうな表情で、シェリーがジェイクを見上げていた。キスしたい。まるでオートマタのように、ジェイクの体が動く。シェリーの腰を抱き、形の良い顎に手を添え、顔を傾ける。…と、唇が触れるか触れないかのところで、不意にくぐもった音がシェリーの腹部から搾り出され、二人の間に鳴り響いた。存外に長く尾を引くその音に合わせて、みるみるシェリーの頬が紅潮していく。

「そ、その、もう夕べから何も食べてなくて、ジェイクの顔見たら安心しちゃって、あの…やだもう最悪…」

 しどろもどろに言うシェリーを、ジェイクは一瞬呆然として見つめていたが、それはすぐにくしゃくしゃの笑顔に変わった。そのまま赤く染まった額に軽くキスをし、やわらかな金髪を無造作に撫でる。

「そんじゃ、メシでも食いに行くか」

 ホテルの近くのカフェレストラン。味がどうかは知らないが、夜風が心地いいテラス席が魅力的で、二人はそこに決めた。シェリーはボリューミーなステーキプレートをオーダーすると、テーブルに来るや否や夢中で頬張る。真剣そのものの顔だが、瞳はきらきらと輝いていた。その空になったグラスに、ピッチャーの水を注ぎながら、ジェイクは微笑んだ。

「ゆっくり食えって。あとちゃんと噛め」

 律儀に礼を言った直後、一息に水を飲み切ったシェリーは、軽く息を吐いてからジェイクを睨んだ。

「ちゃんと噛んでます。子どもじゃないのよ」

「はいはい。で、次は何食いたい?すげえでかいサンデーがあるぜ?」

「ちょっと、バカにしないで。すいません、このサンデー、二つお願いします」

「おい、まさか俺も食うのかよ?」

「こんなの食べたことないでしょ?何事も経験よ。甘いもの、大丈夫だって言ってたよね?」

 シェリーが挑発的な表情で笑う。そうして互いの目の前に並んだ巨大なサンデーを四苦八苦して崩しながら、ひたすらくだらない話をして、ジェイクも笑った。穏やかな食事と会話、そして笑い声。こんな時間を過ごしたのは、母が生きていた時以来だった。その温かく安らぎに満ちた時間に夢中になっていたジェイクは、再会から二時間ほどが経った今ようやく、あることに気づいて目を細めた。

(……ん?そういえば、よく見ると…)

 それはシェリーが着ている服だった。真新しいシャツだが、明らかにサイズが合っておらず、幾重にも袖をまくっている。オーバーサイズのデザイン…というよりは、単純に大きい。これまでジェイクが見たことのあるシェリーの服装からすると、まるで趣味が変わったとしか思えない。着慣れない感じは、そう、借り物の衣装といった風情だ。

「ジェイク?どうしたの?」

 濃厚なブラウニーの層と格闘しながら、シェリーが呼びかける。ジェイクは一瞬迷ったが、スプーンでシェリーを指して、「服」とだけ呟いた。

「あっ…これね。ごめんなさい、こんな格好で。でも着替えてる時間がもったいなくて…」

 ダブつく袖をいじりながら、シェリーが照れ臭そうに笑う。

「いや、いい。でもそれなんつうか…お前の服なのか?」

 意を決して切り込むと、意外な答えが帰ってきた。

「ええっと、これはドイツの病院のスタッフさんから貰ったやつで…」

「病院?」

 そこでジェイクはレオンの話を思い出した。

 任務の途中で襲撃に合い、シェリーを含めた数人が怪我をしたと。その事を言うと、シェリーは小さな溜息と共に、大きなブラウニーにメスを入れた。

「ええ。私の警戒が足りなかった。完全なミスよ。引き渡しの場所に爆薬が仕掛けられていて、気づくことはできたけど、もう時間がなくて」

 悔しそうに唇を噛む。鈍い感覚と共にブラウニーが砕け、溶けかけたアイスクリームがとろりと隙間に雪崩れ込んだ。

「警護対象を死なせるわけにいかない…それで…」

 そこまで言って、シェリーはハッと顔を上げた。向かいのジェイクが、目を細めてじっとシェリーを見据えている。

「庇ったのか、そいつを」

 静かではあるが明らかな怒気をはらんだ声に、シェリーは視線を彷徨わせる。

「それで、着てた服がぼろぼろになって、仕方なくそいつを着る羽目になった。そういうことか」

「や、その、…うん、そんなところ…」


 "G"の超回復能力が絡むと、ジェイクは時にシェリーよりもセンシティブだ。

「でも、あの場で咄嗟にできたことなんて、そのくらいしか…」

 そこまで言って、シェリーは口籠もった。

 実の父によって埋め込まれたGウィルスの胚がもたらしたこの力に長く苦しんだのは事実だが、それを呪いだと思い続けることは、知らず知らずのうちに自分で自分に枷をつけることになっていると気づいた。そして、それ以後シェリーは「危険な任務の中で自分の命を守ってくれる力」と考えるようになったのだが、そのせいで少々無謀な行動に出ることをレオンに指摘されたのは一度や二度ではない。

 そして新たにその力を知る存在となったジェイクは、その力の行使に慎重だった。気にする理由・理屈は、至極シンプルで単純ーーシェリーが傷つくことが嫌だからだ。その柱は非常に強固で、決して揺るぐことは無かった。

「ごめんなさい…」

 突き刺さるような厳しい眼差しを精一杯の思いで受け止めながら、シェリーはつぶやいた。

「謝るな。それより、そんなチカラ、無いもんだと思え。思って備えろ」

 それはシェリーのパートナーとしてだけではなく、一人の戦士としての忠告でもあった。孤独な傭兵として生きていた頃から自分の命を守っていたものは何か、ジェイクはそれをシェリーに伝えたかった。自分が伝えなくては。それが、シェリーを思う者としての使命だと。

 これが、平穏な日常の中でごく普通に街中で出会った関係であったら、あるいはシェリーには届ききらなかったかもしれない。しかし、肩を並べて共に戦い、互いに生かし生かされえた相棒だからこそ、ジェイクの言葉はシェリーの胸に染み入るように響いた。それがどんなに得難いものかということを噛み締めるようにシェリーはうなずくと、力強くジェイクを見つめ返した。

「もっと警戒するわ。どんな事態にも対処できるように」

「…じゃあ、警護対象そのものに爆弾が仕掛けられたら?」

 意地の悪い質問に、それでも真面目にシェリーは思案した。だが、言ったそばからどうしても導き出せる答えは限られていた。

「その…一先ず私が爆弾を…」

「ハズレだ。正解は"諦めてさっさと逃げる"」

「ジェイク!」

 いくらなんでもとシェリーが抗議の声を上げる。だが、ジェイクの表情は変わらない。冗談めいた口調だが、どちらかと言えば本気で言っているようだ。だが、さすがにそこは譲れない。見捨てて逃げるという選択肢はシェリーの中にあり得なかった。何とか言い返そうと、言葉を探す。が、先手を打ったのはジェイクだった。

「お前が守る相手が、一般市民だろうが大統領だろうが法王だろうが、どうでもいいさ」

 そこまで言ってスプーンを置くと、腕組みしながら通りの方を見つめる。だが、切長の双眸はどこか遠く、全く違う何かを見ているようだった。

「お前に何か、万が一のことがあればそれは…たとえそれで他の誰が助かろうが…同じことだ。俺には何の意味も無い」

 いつの間にか怒りの気配は消え、例えようのない悲しみがジェイクから滲み出ていた。

 シェリーは戸惑った。ほんの少し前まで、この上なくいい雰囲気で楽しんでいたのに。自分を思ってのところから端を発しているだけに、余計にどうしたらいいかわからない。とにかく、なんとかまたジェイクに笑って欲しかった。

 と、そこで何か思い出したように、シェリーはショルダーバッグを膝に乗せると、ごそごそと何か探しだした。

 「あった」小さく呟いて取り出したのは、一冊の本だ。

「ジェイク、あのね、私…」

 シェリーの声にジェイクが視線を戻したのを確認してから、シェリーは本を胸元に掲げた。

「実は、今勉強中なの、イドニアの言葉。…よかったら、教えてくれない?」

 ジェイクは、実のところその本を一度シェリーの部屋で見ている。が、あえて自分に言わずに陰で勉強に励むシェリーがいじらしく思えて、知らないふりを決め込んできた。頑なになりかけていた心がわずかにほぐれたように感じ、ジェイクはその申し出に応えることにして、再びシェリーに向き直った。

「いいぜ。じゃあこれは?ーーーーー」

 ジェイクは故郷の言葉で何事か言いながら、それがひどく久方ぶりのことだと、口にして初めて気付いた。一方シェリーは、それだけでいつものジェイクとはまるで違って見えて、新鮮でーー純粋に素敵だと感じていた。

「聞き取れたか?」

 ジェイクの声で我に帰る。いくつかの単語はわかったが、つなげようとすると自信がなくなる。シェリーは不安げな目でジェイクを見ながら、おずおずと答えた。

「えーと、『私はあなたをよく知らない』ーーかな?」

 ジェイクはノーと短く答える。

「正解は、『私は命知らずです』」

「もうっ」

 思わずシェリーが声を上げると、ようやくジェイクに笑みが戻った。

「次。ーーーーーー」

 さっきより幾分ゆっくりとジェイクは喋った。が、やはりシェリーは全てを把握しきれない。

「うーん、『私の彼女は時々それをしない』…『いい加減になる』?」

 またも結果はノーだった。

「正解は、『俺の彼女は無茶ばかりする』」


「わかったから…本当に謝るってば…」

 すっかり白旗を上げたシェリーを見て、ジェイクは満足げにうなずくと、テーブルの上のシェリーの手を包み込むように握った。

「次」

 今度はわざと、少し早口で喋る。当然聞き取れないだろうと踏んでいた。と、シェリーを見ると、頬を赤らめ黙り込んでいる。それを難しくて答えあぐねているのだと捉えて、ジェイクはその"困り顔"を心ゆくまで堪能した。先程までの溜飲を下げるのには充分な効果があった。ジェイクはにやりと笑うと軽く咳払いし、わざと勝ち誇ったようにシェリーの顔を覗き込んだ。

「時間切れだな。正解は…」

「『私はあなたを愛している』」

 シェリーの答えに、完全に油断していたジェイクは、思わず目を見開き黙り込んだ。シェリーは耳まで赤くなりながら、それでも少しばかり得意げな笑みを浮かべて言った。

「最近、覚えたの」

「そ、そうか」

 まさかの一瞬で、形勢逆転された。

 明らかに狼狽えるジェイクを、今度はシェリーが楽しむように見つめる。そうしてから身を乗り出してジェイクに顔を近づけると、今度は自分で、先程のセリフを呟いた。

「…発音、どうかな」

「…まあ、悪かない」

「やった」

子どものように喜ぶシェリーに、ジェイクの強面も思わず崩れた。自然に頬を寄せ合い、唇を重ねる。バニラの香りと濃いブラウニーの味。

「甘すぎる」

 思わず呟くジェイクに、シェリーがくすくすと笑った。


3.

 なんとか巨大サンデーとの戦いにも勝利し、二人は通りを歩いている。ホテルの部屋にシェリーを誘いたい、いや、いっそ抱き抱えて連れ帰りたい衝動に何度も駆られたが、なんとかねじ伏せた。二人のイドニア語レッスンは続いている。そのうち、タクシーが数台待機している場所が見えて来た。

「明日は午後からね。今度こそ、私が迎えに行くから」

 つかまえたタクシーのそばでジェイクに向き直って、シェリーが言う。

「ついでにモーニングコールも頼む。おっさんの声じゃ寝覚が悪い」

 ジェイクも言いながらシェリーの腰を抱き寄せると、最後にもう一度キスをした。唇が離れるのを惜しいと思うのは、ジェイクだけではない。シェリーは額をジェイクの厚い胸板に預けて呼吸を整えると、熱い息と共に呟いた。

「また、イドニアの言葉、教えてね」

「家庭教師か…そういやセラピストなんかもやったか?」

「ピアニストにもなれるわ、通訳も」

「俺って結構器用なタイプだったんだな」

 冗談を言いながら微笑むジェイクの頬を、シェリーが腕を伸ばし、手のひらで包み込む。自分を見つめる強く真剣な眼差しが眩しくて、ジェイクは目を細めた。

「あなたなら、きっと何だってできる」

 シェリーの思いは、常に一点の曇りも無く、真っ直ぐだ。それにこれから幾度救われるのだろうとジェイクは思う。シェリーの手の上に自らの手を重ねると、我ながら精一杯強がっているのを感じながら呟いた。

「おやすみ、シェリー」

 離れがたい気持ちを、触れている指先に乗せて。

 シェリーは微笑むと、ゆっくり、確かめるように言葉を紡いだ。

『おやすみ、ジェイク』

 遠く懐かしく、愛しい響き。

 満たされた気持ちの中で、ジェイクはその夜、初めて故郷と母の夢を見た。


     

                                        fin.

SAVE ROOM

管理人ころが描いた(書いた)、愛するバイオハザードのファンアートと 短い二次創作小説、ゲームプレイ日記の保管庫。

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